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満洲事変

向こうは死に体でこっちは一番なんだ

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(3)

 

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(2) - 満洲事変のつづき。

旧変電所を目指して旧東青山駅の南側を走る林道を西へと進んでいく。
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画像右手の柵は…
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やはり退役したレールの再就職だった。変電所が使われていた時代に設置されたのか、廃線時の大量に廃レールが生まれたタイミングで設置されたのかは定かではない。
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この川に差し掛かった時、突然川向うの森から大きな物音がした。割りと重量のある音でビビって身構えてしまうもその姿は見えない。
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イノシシか、はたまたクマか…怯えながら先を急ぐと、目的地の旧青山変電所が現れた。

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窓ガラスはとうに消え、窓枠も外れかかってはいるがコンクリートの外壁自体は風雨に耐えてよく頑張っている。
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橋を渡り(上の写真では分からないが道と敷地の間に川があり、ボロボロの橋が架かっている)、恐る恐る敷地に侵入すると新聞が落ちていた。
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2016年1月…?頭をよぎったのは浮浪者という可能性だが、こんな山奥に限って無いだろうと思い直し建物の中に進む。
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入り口をくぐると、そこには美しい空洞が広がっていた。
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ガラリとした部屋は想像に反して明るく、壁の白さが際立っている。
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変電所時代を思わせる設備は何も残っていない。だがそれがまた良さを引き出している。

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そう言えば旧駅の方は近鉄名義の侵入禁止看板があったが、こちらはそれすら無かった。

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奇跡的なのが、植物の侵入をあまり受けていないことだ。床の穴を覗き込むと、かなり深さがある。床下が高い構造が土の堆積を阻み、植物の定着を防いでるのかもしれない。

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広い部屋の片隅で、このスイッチだけがここが変電所であったことを小さく主張している。

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侵入者の痕跡があった。もしかすると表の新聞紙も同一犯かもしれない。
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こちらの部屋は薄暗い。しかしどこを撮っても絵になる物件だ。
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昭和4年頃竣工したというこの変電所、東青山駅の移転と共に廃止になったという訳ではなく、実はすぐ隣に建て替えられた現役の変電所があり今も近鉄線に電気を送り続けている。
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もう1つ奇跡的なことに、この廃墟はどこの部屋もまったく落書きが無い。地元のヤンキーの間で心霊文脈の噂でも流れているのだろうか?
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重厚なドアの死体が横たえられている。

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こちらの部屋は丸い吹き抜け。
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また新聞が落ちているが、こちらは1973年のもの。石油危機で緊迫する社会情勢が伝えられていた。
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太平洋クラブライオンズ西武ライオンズの前身球団だがこの名を冠していたのは1972年からたったの6年間。貴重な見出しだ。下に阪神の江夏が内紛がどうのという記事があるが、80年代までの阪神は事ある度に内紛を起こしていたのでこちらは貴重ではない。
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この高いはしごを登り、先程の吹き抜けの上部にやって来た。
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全国(欠損)週間 7月1日~7日

(欠損)よく聞き よく話せ

全国民営鉄道協会労働安全部会

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どうも2階部に様々なゴミが押し込められたらしく、当時の日報まで置き去りにされていた。

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今なら確実にシュレッダー行きと思われる「報告書類」の類いまであり時代を感じさせられる。
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ゴミとガラスと窓枠と…
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上から見ても、この円形の吹き抜けはやはり独特の存在感がある。
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外を見ると日が射してきた。そろそろ帰らなければ。
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名残惜しいが原付の帰り道は長い。暗くなると獸が出るかもしれない。
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後ろ髪を引かれる思いで建物を出た。
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次来る時はこの絵になる美しい廃墟に相応しい写真が撮れるようになっていたい。そんなことを思いながら帰路に就いた。

(終)

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(2)

↑のつづき。

 

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ホームの白線は埋め込んだ金属で描かれていてしっかり残っている。今式の点字ブロックやペイントではこうはいかないだろう。
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 ホームの反対側。しかしこれは末端ではなく中央部である。廃線後に行われた砂防工事で水路が駅跡を縦断し、ホームは寸断されてしまっている。
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水路はこの舗装の下にある。
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ここまでの写真はすべて寸断水路の東側、名古屋方のホーム。では西側大阪方のホームはどうなっているのかというと…
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かなり風化が激しく木々がこれでもかと生い茂っている。この駅は建設時期の違いかコンクリート造りのホームと木製のホームが入り交じっており、近鉄が輸送力を増強していった時代が分かる。


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架電柱の土台の穴に何かが詰まっている。
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この陶製の遺物が何なのか分からないが、そこら中にこの破片が転がっていたのを見るに侵入者が持ち込んだ物では無く、駅の遺物を侵入者が破壊して回ったのではないかと思われる。
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近鉄は新幹線と同じ標準軌1435mmの線路幅なのでJRのそれより橋もデカい。
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反対側のトンネルが見えてきた。旧青山トンネルである。先述の列車暴走衝突事故はこのトンネル内で起きたブレーキトラブルから始まっている。
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トンネル入口付近はかなりの量の湧水が流れておりこの柵が無くとも侵入は無理ではないかという感じがした。

次は変電所に向かうのだが、一旦荷物を置いた名古屋方ホーム付近まで引き返す。

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すると先程は素通りした斜面に瓦礫の山があったことに気付いた。
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  お知らせ

ホームの改修工事を

行なつておりますの

で大変ご迷惑をおか

けしますが足もとに

ご注意くださるよう

ご協力をお願いいた

します

 

昭和46年 月 日

      駅 長

微妙に長い一文の長さが手作りの味を感じさせる。(手作りか?)昭和46年と言うと10月に例の暴走衝突事故があった年だがこの看板にある工事と関係はあるのだろうか。

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瓦礫漁りもほどほどに林道に戻り、変電所までの山道を更に奥へ奥へと進んでいく。

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車輪の跡がある泥道。ということは誰かが来たのか、この登山道を……車で……

つづく

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(1)

3月某日、またしても廃墟を目指すべく原付で数十キロ走り三重県津市の山間部にやって来た。

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国道169号の交差点から車がすれ違えない程の細い道を行った先にあるリベラルパーク青山なるキャンプ場と庭園からなる施設は休業日。だが元からここには用は無い。今日の目的地、旧東青山駅はここの更に奥にある。

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この日原付で来たのは道幅が狭く車で到達するのは困難、しかし電車では最寄駅からは徒歩1時間半かかると言うアクセスの悪さがあった。しかし、この路盤の状態と勾配では原付でもどこまで行けるか分からなくなってきた。
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と思ってたら案の定舗装が終了。河原みたいな石がゴロゴロしている鬱蒼とした山路を慎重に登っていく。
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進んでいくと現れたのがこの坂。「アカン…」と声が出てしまった。写真では分かりにくいがこれは登山道並の勾配だ。原付はここで乗り捨ててこからは徒歩で登る。

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なんか立派な滝まであるしとんでもないところに来てしまった…本当に駅なんかあるんだろうかと不安になってきたところで…
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オッ!
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歩くこと10分、目に飛び込んで来たのはまさしく近鉄大阪線、旧東青山駅。大阪方面のホームの遺構が迎えてくれた。

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谷間にある駅だが構内はかなり広い。2面3線のホームは当時単線だったこの区間で特急の行き違いを可能にしていた。

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近鉄大阪線大阪上本町と名古屋を結び、総延長は100キロ超。ちなみに現在では阪神線と直通運行が行われ神戸三宮まで乗り入れている。私鉄にしては珍しいこの長距離路線は戦後に名阪間の輸送の主役となり更なる輸送拡大とスピードアップが求められるようになった。時は大阪万博も近付く1960年代後半である。
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しかし問題となっていたのはこの青山峠越えの区間。この区間は単線で線形が悪く、輸送上のボトルネックとなっていた。(画像は駅東側の滝谷トンネル)
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そんな中1971年にこの滝谷トンネルの東側にある惣谷トンネルで列車暴走衝突事故が起こり、遂に複線化と新線建設を伴う線形改良が行われることになった。この事故についてはWikipediaが詳しい。(→近鉄大阪線列車衝突事故 - Wikipedia
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ともあれ大幅に線形が変わったことでこの旧東青山駅を含む2つの駅が移転、2つの信号所、10本のトンネルが廃止となったのが1975年。東青山駅は2.7キロ東側に移り旧駅はお役御免となり付近は新青山トンネルがぶち抜いている。

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ホームの北東、名古屋方に残る半分森に呑み込まれた廃屋。その西隣には手洗い場。トイレの遺構だろうか?と思って近付くと
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 ビンが転がっている。
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脇に自販機の遺体が横たわっていたので恐らく売店の遺跡のようだ。この廃駅、駅舎は倒壊したのか取り壊されたのか現存しないが、この売店はコンクリート作りのしっかりとした建物なのであと50年でも持ちそうな雰囲気だった。
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建物は残っても備品は着実に自然に還っていく。

↓につづきます。

雪の「アクアパーク東山」と京阪京津線廃止区間ぶらり歩き

去る1月17日、前々日の積雪が残る朝の京都で雪景色を求めて写真を撮ってきた。

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山科駅を降りて徒歩数分。何の変哲もない遊歩道のように見えるが実はそうではない。
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陵ヶ岡みどりの径と名付けられたこの場所はかつて京阪京津線の線路があり電車が行き交っていた。
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かつて三条京阪から山科を経由して浜大津まで向かっていた京阪京津線は1997年の地下鉄東西線の開業により東西線への乗り入れと引き換えに並行していた三条京阪~御陵間が廃止されることとなった。
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陵ヶ岡みどりの径は約4キロの廃止区間のうち、京津線の現存区間と地下鉄の分岐点から旧御陵駅までのわずか数百メートルの空間だが、民家の軒先を京阪電車が走り抜けていた往時を偲ぶことができる。

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御陵駅跡地にはホームをイメージした屋根がありここがかつて駅であったことを示している。
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ここでみどりの径は終わり、かつての線路は路面区間に入る。この交通量が多い三条通京阪電車が走っていたのだ。そんなことを考えながら歩道を歩いていると奇妙な物を見付けた。
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近江鉄道バスのバス停、時刻表は無い。いわゆる免許維持路線のバス停である。定期観光バスを運行する為に名目上路線を設定し、年数回だけ路線バスを運行する。年数回しかバスが来ないバス停という代物である。詳しいことはググってほしい。
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どんどん道を行く。残念ながらこの付近には京津線の遺構はほとんど残っていない。
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道路の片隅に現れたのは京津国道改良記念碑である。昭和8年に建てられたこの碑は旧三条街道の車石の廃材が使われているらしい。
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さらに急な坂を登っていくと今度は京津線廃止時の改良記念碑とモニュメントがあった。三条通は数十年毎に改良されているが渋滞は一向に消滅しないので長生きすればまた数十年後に工事が行われて改良記念モニュメントが建つ様子を見れるかもしれない。
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九条山に達した所で三条通に別れを告げこの日のメインスポットに向けて東山ドライブウェイを行く。10センチも積もった雪が全く除雪されていない上にこの写真の場所の後歩道が消滅してスニーカーで来たことを後悔した記憶があるが道中の写真を残していなかった。
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京都と山科の間、東山の山中に残るプール施設の廃墟、アクアパーク東山。門にはSECOMマークが光り侵入は困難だが道から全景を望むことができる。
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雪のプール、しかし雪が溶けても二度と営業が再開されることはない。
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10年ほど前に閉業したと言うが当時何度も下の三条通を通ってる筈の自分も存在を知らなかった。
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劣化はそれほどでも無かったがいかんせん山中なので植物の侵攻が激しかった。恐らく夏に訪れると蔦で覆われたウォータースライダーや看板などを見ることが出来るだろう。
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他の方が書かれている訪問記を見ると4時半で止まっている時計が11時前を指していた。しばらく生きていたのだろうか?
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ところでこの周辺に全和凰美術館という別の廃墟があるのだが完全に忘れていて行かなかった。積雪オプション無しのアクアパーク東山と合わせていずれ訪問したいと思う。

泡沫政党を悼む

2016年も個性的な政党が結党され、そして消えていった。

 

日本を元気にする会

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みんなの党の残党の参議院議員が集まって2015年1月に結党。タリーズコーヒーの創業者の松田公太代表が今年の選挙で再選するために必死であれこれ策を張っていた姿が印象的だった。去年の暮れに離党者を出して所属議員が4人になったのが運の尽き(5人いないと政党要件を満たせず政党助成金が貰えなかったり比例代表候補を擁立できない)で、その後は乙武洋匡氏を出馬させようとして誓約書まで書かせたのに自民党に逃げられ、逆ギレして氏の不倫を文春にタレコんだり色々やったが、結局代表は出馬を断念して参院選には1人も候補を擁立しなかった。参院選後残された2人の非改選議員が会派存続の届け出を出さず、自然消滅。合掌。

 

改革結集の会

 

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 去年の12月に維新の党の分裂騒ぎの中で維新の中間派(非大阪系非結い系)がひっそり結成した党。代表は村岡俊英衆院議員だったが、中心となったのは大臣までやったのに民主党政権が傾いたときに維新に逃げだした小沢鋭仁衆院議員だった。小沢議員は離党の経緯で地元の山梨の民主党から恨まれ、民維の選挙協力が始まると地元に居られなくなり、比例近畿ブロックに転出して単独1位で悠々当選していた。これにより比例の1枠を取られた大阪系にも恨まれて分裂騒ぎが始まると微妙な立場になってしまった。こういう背景で結成された党だったが、結成後は目立った政局に絡むことはなく、3月に民進党が結成されると小沢議員以外の4人は民進党に合流し、小沢議員は維新に出戻りして解散。わずか3か月の短い生涯だった。合掌。

 

新党改革

 

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この党は(他の泡沫政党よりは)歴史が古く、2008年に民主党の一部議員と新党日本が潰れてから無所属だった荒井広幸議員が「改革クラブ」として結成した政党。その後下野した自民党を見限った舛添要一参院議員(当時)を迎えて「新党改革」となり、2010年の参院選は舛添効果で政党要件をクリア。しかし舛添招聘の過程で議員の入れ替わりがあり、新党改革は徐々に荒井議員の個人政党になっていった。そして荒井議員が改選を迎え、新党改革の政党要件が切れる2016年の参院選新党改革は必死の生き残り策をいくつも講じた。

 

まず、コミケ表現規制反対を訴えてネットでカルト的な人気を得つつも、ド下手くそな政局センスで民進、維新をはじめとした主要政党をほぼ出禁になっていた山田太郎議員を拾った。

 

次に大麻解禁を主張する女優の高樹沙耶(後に容疑者)を東京選挙区に擁立し、大麻解禁関連比例票(あるのか?)の掘り起こしを狙った。(高樹沙耶を比例に出すと個人票が荒井議員より集まり高木当選荒井落選という本末転倒な状態になる可能性があるのでできない)

 

最後に泡沫政治団体「平和党」の代表の大坂佳巨氏を擁立した。これは「おおさかさん」を立候補させることで「おおさか」と書かれた「おおさか維新の会」票を頂くという戦略である。

 

しかしこれらの手段を選ばない戦略も実を結ぶことなく獲得議席数はゼロに終わった。個々の戦略はどうだったのかというと、山田議員は予想外に29万票の個人票を集め、大いに党に貢献したものの荒井代表の6万票を大きく上回る結果となってしまった。大麻候補高樹沙耶は東京選挙区で6万票を集めた。しかし10月になって大麻所持で逮捕され、皮肉なことに新党改革は消滅後に世間の注目を浴びることとなってしまった。疑問票狙いの「おおさか」さんはわずか3600票で落選。普段本家の方は「維新」の方を連呼しているので当然かもしれないが残念極まりない結果である。

 

選挙終了後、荒井代表は政界引退と党の解党を宣言。新党日本に続き荒井代表の生涯2回目の解党宣言になった。合掌。

 

 

 

まとめ

 

第3極の政党が軒並み衰退傾向にある中、様々な議員の生存戦略と最後のあがきが見られた楽しい一年だった。2009年から続く政党の離合集散も一段落してしまった感があるので、来年はこのような騒ぎは少ないかもしれないが引き続きニュースの隙間に出てくる小政党の動向をひっそりと見守っていきたい。

小型特殊免許取った

先日小型特殊免許を取ろうと思い立ち、警察署に行った。

 

 

 

小型特殊免許は農業用の小型トラックなどのみを運転できるマイナー免許。構造上時速15キロしか出せないので一般の移動には極めて不向きで、しかも免許自体は普通免許や中型免許に内包されている(普通免許を取れば小型特殊自動車も運転できる)ので当然小型特殊免許のみをわざわざ人間はそうそう居ない。警察庁の運転免許統計によると小型特殊免許を特に保有している人の数は全国でわずか4万人で、20代以下に絞るとわずか400人と選ばれし者が持つ免許であることがわかる。(ただしこの数字は小型特殊を取得した後に上位免許を取得した人は含まれていない。)そんな難関免許の正体を確かめるべく我々は警察署に向かったのである。

 

 

 

取得の流れは以下のようになる。

 

①警察署で免許申請書を作成。(要身分証)

 

②警察署もしくは免許センターで申請書手数料を納付(¥2000ほど)

 

③免許センターで学科試験を受験

 

④合格すれば交付手数料(¥1800)を納付して免許皆伝。技能教習等は無し。

 

 

 

警察署で申請書作成を願い出ると、案の定「小型特殊…?」と訝しげに見られた。係の職員を困惑させながら手数料を納付し、無事申請書をゲット。これで準備は完了で、免許センターへ行くのは後日になる。

 

それから1週間後、守山駅からバスに揺られ免許センターに行ってきた。

 
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本県の免許センターは琵琶湖大橋のほとりにあり、守山駅からバスで30分、琵琶湖の対岸の堅田駅からも30分、運賃にして片道460円のどうしようもない立地にある。とは言え、普通の県民は普通免許を取得する最初の1回か、もしくはその前に原付免許を取得する時を含めた2回しかバスで来ないので誰も問題視しない。クルマ社会と官憲の横暴に憤慨しながらバスに揺られ、30分後ようやく僻地に辿り着いた。

 

 

 

窓口で受付を済ませ、試験教室に移動すると教室内は免許を皆伝されたい人々で埋まっており、普通免許(自動車、二輪)が8割強、残りは原付免許が5名と仮免許が2名、小型特殊が1名だった。肝心の試験の内容は50問中48問は原付と共通(たぶん)で小型特殊に特化した問題は2問だけでその問題の時だけ(オッ!)となった。

 

試験結果は無事合格。

 
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「小型特殊は構造上時速15キロまでしか出せないが、一応自動車であるため原付バイクとは異なり二段階右折をする必要はない。」これだけを覚えておけば原付免許保持者であれば誰でも受かる、そういう感想を持って帰路に着いた。

 

なお、この2週間後再び免許センターに向かい普通自動車免許を取得したため、窓口の警官に(?)という表情で見られたことを付記しておく。

開設の辞

ブログを開設しました。映画とかの話をしていければと思います。