満洲事変

向こうは死に体でこっちは一番なんだ

新・白亜の廃墟 ─ 豊洲市場巡検

廃墟ファンは、しばしば強い思い入れから凝った廃墟の異称を生み出すことがある。だいたいの場合は凝りすぎて滑っているのだが、センスがあれば人口に膾炙して定着することもある。

そうした傾向がある廃墟の異称だが、「白亜の~」という異称が定着した廃墟が2つあった。

1つは三重県の白石鉱山。「白亜の迷宮」と呼ばれたこの石灰石採掘施設は廃墟ファンのみならずコスプレイヤーの撮影等にも人気だったが、木造で火災の危険があり、5年ほど前に解体されてしまった。

もうひとつは「白亜の廃校」と呼ばれる岡山県の旧城南中学校だ。閉校後に石灰石関連施設に転用されていた珍しい例で、教室も廊下も白く染まっている。こちらはまだ現存している。

これらの物件が特別に「白亜」と呼ばれるのは「白い廃墟」の数が少ないからである。セピア色のような霞んだ色や生い茂る植物の緑色が印象に残る物件が多い廃墟界隈で、白という色は訪問者の記憶に特別の印象を残すと言えよう。

2017年、そんな白亜の廃墟候補の大型ルーキーが東京に現れた。

都政の空転から開業が延期されている豊洲市場である。

ゆりかもめで東から3駅目、開業に先走って名付けられた市場前駅で降りると都区内とは思えない閑散とした構内が待っている。この駅は東京23区で最も乗降客数が少ない。
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改札正面の出口はシャッターで塞がれている。この奥には市場敷地内に直結する通路があり、市場が開業していたらゆりかもめでここに来る関係者や観光客が必ず通る重要な導線となっているはずだった。

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そして改札左手には広大な空き地を挟んで奥に真っ白な市場本体が見えている。なおこれは青果市場棟で、水産卸売市場ではない。空き地には「千客万来施設」なる商業施設が開業するはずだったが、事業者(すしざんまい)の撤退で整備の見通しが立っていない。
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駅を降りると、モノレールの向こう側に管理棟が見えている。「豊洲市場」の看板が申し訳程度に隠されている。

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豊洲市場はまだ開業していません。

敷地内に入らないでください。

この建物の地下深くで涌き出している汚水が見つかったことが今回の騒動の始まりだった。
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環二通りの交差点の対角にあるのは水産仲卸売場棟。問屋から魚屋や寿司屋などの小売業者が水産物を買う市場で、この市場では一番規模が大きい。

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もっとも多くの業者が行き交う施設なので当然建物も一番大きく、近くで見るとその大きさと新築の白さに圧倒される。
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ちょっと分かりづらいが施設への入り口交差点である。覆いをかけられた信号が開業の時を待っている。
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反対側。左は管理棟で、連絡通路で繋がっている先にマグロの競りでお馴染みの水産卸売場棟となっている。
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西側の果てに着いたのは歩き続けて数分、ここから都道443号は晴海方面に大きくカーブしていく。
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水産卸売場棟の西側側面。数台車が停まっているところからすると、開業未定とは言えど都の職員か市場関係者が常駐しているのだろう。
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単なる搬入口がさながらバイパス道路のランプのように立派に整備されているのはさすが最新鋭の設備を謳う新市場といったところか。
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何もかもが新しい真っ白で巨大な施設だが、人っ子ひとり居ないのが妙な違和感を覚えさせられる。

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来た道を引き返し、青果棟南門前から青果棟を覗きこむ。
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遠目に見ると一見イオンモールの立駐入り口のように見えないこともない(田舎者の感想)
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 湾岸の土手と遊歩道が整備されているが、まったく人がいないのが大阪の咲洲を彷彿とさせる。(ここは未供用で入れないが咲洲は普通に供用中なのに人がいないのでもっとヤバい)階段が真っ白でコントラストが強い。
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何も書かれていない青看板というのも新鮮だ。
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無の看板があるのはこの環二通りが開通していないからで豊洲市場移転延期とは無関係…と思いきや、環二通りが開通していないのは築地市場の閉鎖が遅れているからで、結局都知事のせいということになる。

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周辺道路を一周し、すれ違った通行人は2~3人ほど。とにかくどこに行っても人がいない場所だった。閑散とした雰囲気の中、白い壁と誰もいない巨大施設に別れを告げて市場前駅から帰路に着いた。

締め

なんだか締まりの無い記事になってしまったが、これはダラダラと書いているうちに移転が決まってしまったからである。

これで豊洲市場が廃墟となる可能性は閉ざされてしまった訳だが、正直残念という気持ちがある。開業が決まった以上、新市場が風評をはねのけて繁盛することを祈るばかりである。

住友大阪セメント 旧多賀鉱山(イワス山)探訪

前回(幹線道路沿いの廃SL ─ 多賀SLパーク - 満洲事変)で廃SLを発見した後の記事。

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今回はこの物々しい注意書きが並ぶ林道の入り口から物件に向かう。厳しい坂で原付のエンジンが唸る。
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物の5分でもう路肩が埋もれて自然に還りつつあるが道のりは序盤戦である。
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地図で見ると分かりやすいがとんでもない悪路が延々続いているのだ。

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崖が崩れている。あと少しでもこの土砂に勢いがあればこの道は即廃道だったに違いない。
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そんなこんなしている間に、

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鋪装がなくなりバイクを捨て、
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いよいよ見えてきた。
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転がる白い石と石垣、これが今回この山奥に廃墟がある所以を物語っている。
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住友大阪セメント旧多賀鉱山。かつてこの地域で盛んに産出された石灰岩を採掘していた廃鉱である。
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赤錆た門を突破した先に山を抉りとって生まれた広大な平地がある。途中の狭隘で急な山道が嘘のようだ。
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インターネットで見られるここの探訪記はバイク乗りの方のそれが多いが、確かにバイクで走り回ると楽しそうな場所である。もっとも、ここに至る山道があの有り様なので現在はバイクで来ることは難しい。
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広場の裾側の斜面にはところどころ防空壕めいた石室がある。
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この鉱山は発破式で採掘されていた。
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爆破の際に作業員が身を守ってきた待避所は頑丈な造りだが
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今は蜂が巣を作り、入ることもままならなかった。
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この物件で一番目立つ建物。重機の車庫だろうか?
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壁は無惨にも剥がれて、なぜかテレビが転がっている。
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97年製とのこと。ここは昭和40年には閉山しているので不法投棄である。こんな山奥にもなると捨てに来る苦労と浮かせた粗大ゴミ処理費用が釣り合わない気がする。

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ミサイルか?
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車庫(仮)の裏側。
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石灰岩を細かく粉砕するミキサーかもしれない。煤けた色と覆われた草で天空の城ラピュタのロボットのようになっている。

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麓を見下ろすと近江平野が一望できる。(木が邪魔)快晴の日なら琵琶湖も見えるだろう。
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遺構はまだある。

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木々を掻い潜ってコンベアが伸びている。粉砕された石灰岩
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このままコンベアを下り、
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遠く見える麓に運ばれていた。(木が邪魔)

それにしてもここで働いていた作業員がどうやって移動していたのかが分からない。リフトか何かがあったのか。
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すぐ隣にコンクリートの基礎(建物の痕跡?)があり、なにやらそれっぽい柱もあるが人間用リフトの柱にしては貧弱すぎる気もする。
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振り返ると車庫(仮)が見える。そろそろ帰ろう。
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道のりがヤバいがなかなか良い物件だった。
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と、ここで石垣がヘビが出てくるハプニングがあったが無事帰路についた。

補足

  • 住友大阪セメント多賀町内にもう一つ採掘場を持っており、そちらは現役である。
  • ややこしいのがそちらも「住友大阪セメント多賀鉱山」を名乗っているのである。検索するとそちらがトップに出てくる。
  • 地元では多賀鉱山と言うと現役の採掘場を指し、こちらはイワス山と呼ばれているらしいのでタイトルに併記した。
  • 山側の絶壁には方解石の結晶が転がっているらしいが、帰ってきてから知ったのでお土産にできず残念。

幹線道路沿いの廃SL ─ 多賀SLパーク

多賀大社門前町で知られる滋賀県多賀町を訪れる道すがら、奇妙な物件を見つけた。

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近江平野を縦断する国道307号線沿い、突如として現れた朽ち果てたSL。周囲には何らかの建物の基礎と思われる痕跡が残る不自然なコンクリート舗装の空き地が広がっている。

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調べてみるとどうもここは「多賀SLパーク」なる施設の跡地らしい。

Wikipedia多賀SLパーク - Wikipedia)によると、1976年に開業したこのSLホテル(国鉄が払い下げたSLに客車を併結して客室としたホテル)は正式には「多賀ハイウェイパークレストラン」の付属施設でSLブームに乗って開業したもののブームが去った1980年代には廃業したという。

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閉業まで10年前後しか持たなかった典型的な残念観光施設といった具合である。

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その後SLは30数年間ノーメンテで放置され続け風雪に晒されこの姿になったという。未確認だがGoogleマップのレビューには放火に遭ったという情報もあった。汽車の顔だったはずの「D51」のナンバープレートも何者かによって持ち去られている。

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かつて全国で先を争うようにSLの払い下げと静態保存が行われたが、現在もその姿を留めている車両は少ない。こうやって自然に朽ちるのを待つままのSLも居ると考えると、払い下げられたはいいものの数年で保存に困り解体された車両はまだ良い方という気もしてくる。

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実はここにはまだ奥があった。

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SLの後ろには100mほどの線路が続いており、ちょっとした廃駅のようになっている。現役時は客車が連なっていたようだが解体されたらしく痕跡は一切無い。茂みに向かっていく緩やかなカーブがここが本物の廃線跡かのように錯覚させる。

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表にあるのがSLの墓標なら奥にあるのは公園の墓標である。

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自治体が管理する公園ならこのように朽ちるまで放置されることは無いと思われるのでここもハイウェイパークの一施設だったのだろう。

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滑り台が植物の生命力に完敗している。

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滑り台の後部は茂みと直結していて元々がどのような形態だったのか想像も付かない有様だ。

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唯一乗れそうな遊具が近頃なかなか見ないこのカゴ式ブランコだった。遊具の事故で敏感になった世間の声も所有者が放置する廃墟には届かない。財産権は強い。

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この建物は飼育小屋だろうか。このサイズだとニワトリぐらいが限度のような気もするが。ともかく、この物件で建物らしい建物はここだけだった。

雑記

・SLの北側は崖、公園のすぐ横は茂みに包まれた丘になっており、平地が少ない物件。現役時に果たしてどこにレストランが建っていたのか今一つ想像が浮かばなかった。

・幹線道路沿いだがかなり容易に入れてしまう。というか地元のオババが孫を遊びに連れて来ていたぐらいの雰囲気で廃墟特有の怪しさは無い。(ボロSLにカメラを構える自分はかなり怪しかったが)

・ところでこんな有様だったがなんとか活用できないかと地元では何とか頭をひねっているらしい。妙案があれば多賀町役場まで。

滋賀・多賀のSL、魅力再発見 11日にトーク、写真展 : 京都新聞

30年以上放置の多賀SLで再び町おこし 町民から活用策募る 滋賀 - 産経ニュース

 では最後に朽ち果てたSLと活気ある多賀SAの駐車場の遠景の対比を。

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旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(3)

 

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(2) - 満洲事変のつづき。

旧変電所を目指して旧東青山駅の南側を走る林道を西へと進んでいく。
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画像右手の柵は…
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やはり退役したレールの再就職だった。変電所が使われていた時代に設置されたのか、廃線時の大量に廃レールが生まれたタイミングで設置されたのかは定かではない。
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この川に差し掛かった時、突然川向うの森から大きな物音がした。割りと重量のある音でビビって身構えてしまうもその姿は見えない。
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イノシシか、はたまたクマか…怯えながら先を急ぐと、目的地の旧青山変電所が現れた。

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窓ガラスはとうに消え、窓枠も外れかかってはいるがコンクリートの外壁自体は風雨に耐えてよく頑張っている。
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橋を渡り(上の写真では分からないが道と敷地の間に川があり、ボロボロの橋が架かっている)、恐る恐る敷地に侵入すると新聞が落ちていた。
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2016年1月…?頭をよぎったのは浮浪者という可能性だが、こんな山奥に限って無いだろうと思い直し建物の中に進む。
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入り口をくぐると、そこには美しい空洞が広がっていた。
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ガラリとした部屋は想像に反して明るく、壁の白さが際立っている。
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変電所時代を思わせる設備は何も残っていない。だがそれがまた良さを引き出している。

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そう言えば旧駅の方は近鉄名義の侵入禁止看板があったが、こちらはそれすら無かった。

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奇跡的なのが、植物の侵入をあまり受けていないことだ。床の穴を覗き込むと、かなり深さがある。床下が高い構造が土の堆積を阻み、植物の定着を防いでるのかもしれない。

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広い部屋の片隅で、このスイッチだけがここが変電所であったことを小さく主張している。

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侵入者の痕跡があった。もしかすると表の新聞紙も同一犯かもしれない。
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こちらの部屋は薄暗い。しかしどこを撮っても絵になる物件だ。
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昭和4年頃竣工したというこの変電所、東青山駅の移転と共に廃止になったという訳ではなく、実はすぐ隣に建て替えられた現役の変電所があり今も近鉄線に電気を送り続けている。
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もう1つ奇跡的なことに、この廃墟はどこの部屋もまったく落書きが無い。地元のヤンキーの間で心霊文脈の噂でも流れているのだろうか?
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重厚なドアの死体が横たえられている。

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こちらの部屋は丸い吹き抜け。
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また新聞が落ちているが、こちらは1973年のもの。石油危機で緊迫する社会情勢が伝えられていた。
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太平洋クラブライオンズ西武ライオンズの前身球団だがこの名を冠していたのは1972年からたったの6年間。貴重な見出しだ。下に阪神の江夏が内紛がどうのという記事があるが、80年代までの阪神は事ある度に内紛を起こしていたのでこちらは貴重ではない。
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この高いはしごを登り、先程の吹き抜けの上部にやって来た。
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全国(欠損)週間 7月1日~7日

(欠損)よく聞き よく話せ

全国民営鉄道協会労働安全部会

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どうも2階部に様々なゴミが押し込められたらしく、当時の日報まで置き去りにされていた。

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今なら確実にシュレッダー行きと思われる「報告書類」の類いまであり時代を感じさせられる。
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ゴミとガラスと窓枠と…
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上から見ても、この円形の吹き抜けはやはり独特の存在感がある。
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外を見ると日が射してきた。そろそろ帰らなければ。
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名残惜しいが原付の帰り道は長い。暗くなると獸が出るかもしれない。
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後ろ髪を引かれる思いで建物を出た。
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次来る時はこの絵になる美しい廃墟に相応しい写真が撮れるようになっていたい。そんなことを思いながら帰路に就いた。

(終)

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(2)

↑のつづき。

 

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ホームの白線は埋め込んだ金属で描かれていてしっかり残っている。今式の点字ブロックやペイントではこうはいかないだろう。
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 ホームの反対側。しかしこれは末端ではなく中央部である。廃線後に行われた砂防工事で水路が駅跡を縦断し、ホームは寸断されてしまっている。
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水路はこの舗装の下にある。
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ここまでの写真はすべて寸断水路の東側、名古屋方のホーム。では西側大阪方のホームはどうなっているのかというと…
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かなり風化が激しく木々がこれでもかと生い茂っている。この駅は建設時期の違いかコンクリート造りのホームと木製のホームが入り交じっており、近鉄が輸送力を増強していった時代が分かる。


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架電柱の土台の穴に何かが詰まっている。
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この陶製の遺物が何なのか分からないが、そこら中にこの破片が転がっていたのを見るに侵入者が持ち込んだ物では無く、駅の遺物を侵入者が破壊して回ったのではないかと思われる。
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近鉄は新幹線と同じ標準軌1435mmの線路幅なのでJRのそれより橋もデカい。
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反対側のトンネルが見えてきた。旧青山トンネルである。先述の列車暴走衝突事故はこのトンネル内で起きたブレーキトラブルから始まっている。
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トンネル入口付近はかなりの量の湧水が流れておりこの柵が無くとも侵入は無理ではないかという感じがした。

次は変電所に向かうのだが、一旦荷物を置いた名古屋方ホーム付近まで引き返す。

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すると先程は素通りした斜面に瓦礫の山があったことに気付いた。
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  お知らせ

ホームの改修工事を

行なつておりますの

で大変ご迷惑をおか

けしますが足もとに

ご注意くださるよう

ご協力をお願いいた

します

 

昭和46年 月 日

      駅 長

微妙に長い一文の長さが手作りの味を感じさせる。(手作りか?)昭和46年と言うと10月に例の暴走衝突事故があった年だがこの看板にある工事と関係はあるのだろうか。

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瓦礫漁りもほどほどに林道に戻り、変電所までの山道を更に奥へ奥へと進んでいく。

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車輪の跡がある泥道。ということは誰かが来たのか、この登山道を……車で……

つづく

旧東青山駅(近鉄大阪線)と旧青山変電所を往く(1)

3月某日、またしても廃墟を目指すべく原付で数十キロ走り三重県津市の山間部にやって来た。

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国道169号の交差点から車がすれ違えない程の細い道を行った先にあるリベラルパーク青山なるキャンプ場と庭園からなる施設は休業日。だが元からここには用は無い。今日の目的地、旧東青山駅はここの更に奥にある。

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この日原付で来たのは道幅が狭く車で到達するのは困難、しかし電車では最寄駅からは徒歩1時間半かかると言うアクセスの悪さがあった。しかし、この路盤の状態と勾配では原付でもどこまで行けるか分からなくなってきた。
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と思ってたら案の定舗装が終了。河原みたいな石がゴロゴロしている鬱蒼とした山路を慎重に登っていく。
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進んでいくと現れたのがこの坂。「アカン…」と声が出てしまった。写真では分かりにくいがこれは登山道並の勾配だ。原付はここで乗り捨ててこからは徒歩で登る。

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なんか立派な滝まであるしとんでもないところに来てしまった…本当に駅なんかあるんだろうかと不安になってきたところで…
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オッ!
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歩くこと10分、目に飛び込んで来たのはまさしく近鉄大阪線、旧東青山駅。大阪方面のホームの遺構が迎えてくれた。

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谷間にある駅だが構内はかなり広い。2面3線のホームは当時単線だったこの区間で特急の行き違いを可能にしていた。

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近鉄大阪線大阪上本町と名古屋を結び、総延長は100キロ超。ちなみに現在では阪神線と直通運行が行われ神戸三宮まで乗り入れている。私鉄にしては珍しいこの長距離路線は戦後に名阪間の輸送の主役となり更なる輸送拡大とスピードアップが求められるようになった。時は大阪万博も近付く1960年代後半である。
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しかし問題となっていたのはこの青山峠越えの区間。この区間は単線で線形が悪く、輸送上のボトルネックとなっていた。(画像は駅東側の滝谷トンネル)
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そんな中1971年にこの滝谷トンネルの東側にある惣谷トンネルで列車暴走衝突事故が起こり、遂に複線化と新線建設を伴う線形改良が行われることになった。この事故についてはWikipediaが詳しい。(→近鉄大阪線列車衝突事故 - Wikipedia
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ともあれ大幅に線形が変わったことでこの旧東青山駅を含む2つの駅が移転、2つの信号所、10本のトンネルが廃止となったのが1975年。東青山駅は2.7キロ東側に移り旧駅はお役御免となり付近は新青山トンネルがぶち抜いている。

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ホームの北東、名古屋方に残る半分森に呑み込まれた廃屋。その西隣には手洗い場。トイレの遺構だろうか?と思って近付くと
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 ビンが転がっている。
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脇に自販機の遺体が横たわっていたので恐らく売店の遺跡のようだ。この廃駅、駅舎は倒壊したのか取り壊されたのか現存しないが、この売店はコンクリート作りのしっかりとした建物なのであと50年でも持ちそうな雰囲気だった。
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建物は残っても備品は着実に自然に還っていく。

↓につづきます。

雪の「アクアパーク東山」と京阪京津線廃止区間ぶらり歩き

去る1月17日、前々日の積雪が残る朝の京都で雪景色を求めて写真を撮ってきた。

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山科駅を降りて徒歩数分。何の変哲もない遊歩道のように見えるが実はそうではない。
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陵ヶ岡みどりの径と名付けられたこの場所はかつて京阪京津線の線路があり電車が行き交っていた。
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かつて三条京阪から山科を経由して浜大津まで向かっていた京阪京津線は1997年の地下鉄東西線の開業により東西線への乗り入れと引き換えに並行していた三条京阪~御陵間が廃止されることとなった。
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陵ヶ岡みどりの径は約4キロの廃止区間のうち、京津線の現存区間と地下鉄の分岐点から旧御陵駅までのわずか数百メートルの空間だが、民家の軒先を京阪電車が走り抜けていた往時を偲ぶことができる。

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御陵駅跡地にはホームをイメージした屋根がありここがかつて駅であったことを示している。
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ここでみどりの径は終わり、かつての線路は路面区間に入る。この交通量が多い三条通京阪電車が走っていたのだ。そんなことを考えながら歩道を歩いていると奇妙な物を見付けた。
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近江鉄道バスのバス停、時刻表は無い。いわゆる免許維持路線のバス停である。定期観光バスを運行する為に名目上路線を設定し、年数回だけ路線バスを運行する。年数回しかバスが来ないバス停という代物である。詳しいことはググってほしい。
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どんどん道を行く。残念ながらこの付近には京津線の遺構はほとんど残っていない。
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道路の片隅に現れたのは京津国道改良記念碑である。昭和8年に建てられたこの碑は旧三条街道の車石の廃材が使われているらしい。
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さらに急な坂を登っていくと今度は京津線廃止時の改良記念碑とモニュメントがあった。三条通は数十年毎に改良されているが渋滞は一向に消滅しないので長生きすればまた数十年後に工事が行われて改良記念モニュメントが建つ様子を見れるかもしれない。
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九条山に達した所で三条通に別れを告げこの日のメインスポットに向けて東山ドライブウェイを行く。10センチも積もった雪が全く除雪されていない上にこの写真の場所の後歩道が消滅してスニーカーで来たことを後悔した記憶があるが道中の写真を残していなかった。
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京都と山科の間、東山の山中に残るプール施設の廃墟、アクアパーク東山。門にはSECOMマークが光り侵入は困難だが道から全景を望むことができる。
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雪のプール、しかし雪が溶けても二度と営業が再開されることはない。
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10年ほど前に閉業したと言うが当時何度も下の三条通を通ってる筈の自分も存在を知らなかった。
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劣化はそれほどでも無かったがいかんせん山中なので植物の侵攻が激しかった。恐らく夏に訪れると蔦で覆われたウォータースライダーや看板などを見ることが出来るだろう。
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他の方が書かれている訪問記を見ると4時半で止まっている時計が11時前を指していた。しばらく生きていたのだろうか?
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ところでこの周辺に全和凰美術館という別の廃墟があるのだが完全に忘れていて行かなかった。積雪オプション無しのアクアパーク東山と合わせていずれ訪問したいと思う。