惟喬親王伝説と異教が根付く木地師の里 滋賀県道34号多賀永源寺線

さて、今回は久しぶりに道路編として、滋賀県道34号多賀永源寺線を走行してきた。

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今回は終点の東近江市政所町から起点の多賀町方面へ逆行し、犬上川ダムをめざした。

政所町

東近江市政所町は、かつての東小椋村の中心部で、茶の生産で有名である。
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集落を貫く国道421号三重県いなべ市まで通じており、かつて峠道が酷道として有名だったが近年トンネルが開通して通年通行が可能になり、大きく道路事情が改善された。f:id:zhongdanhai:20210228210133j:image

東近江市街方面から来て分岐を左に行くといきなり狭隘路に入る。卒塔婆だけでヘキサは無い。

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集落を抜けると学校の校舎が現れる。平成16年に閉校した政所小学校だ。現在は合宿施設として活用されている。ちなみに421号沿いにある旧政所中学校も平成11年の閉校後に道の駅奥永源寺渓流の里としてリノベーションされており、廃校活用例としてなかなか珍しい例となっている。

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圧迫感のある柵と落石の危険を告げる電光表示板。
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概ね1~1.5車線の道幅で路面状況は悪くない。しかし気になるのが対向車の多さである。表示板からものの数百mで県外ナンバーを含む複数の車両と離合することになった。この先に待ち受けているのかが分かるのはもう少し先になる。

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箕川町の集落はΩ字に蛇行した谷筋にあり、狭隘路に張り付く家々をショートカットする形でトンネルが貫通していた。200mほどの小さなトンネルである。

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改良区間が終わり、狭隘路に戻ると路傍にポールが立っている。

ありがとうございます

このポール、滋賀県ではバス停などの目に付くところにたまにある謎のポールで、さほど珍しいものではない。しかしこんな山奥の荒れ地になぜあるのか。(もう少し引っ張るので真相を知ってる人はご容赦ください)

木地師親王の里

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蛭谷町にやってきた。箕川でもそうだったがこの村々では木地師を推している。

木地師とは、ろくろを回して木を成形し盆や器などを作る技能者集団の古い呼称で、この辺りが発祥の地とされているのだ。

その謂れをまとめると、

文徳天皇の第一皇子惟喬親王皇位継承争いに敗れた際、都を落ち延びてこの里へやって来た。親王一行は村人に木地師の技術を教え、その技術で生計を立てるようになった。これが木地師の発祥である。

親王はこの地で没し、木地師の集団は諸国通行、諸山の七合目以上の伐採、木地物の製造特許を許可する「親王の綸旨」を手に全国へ広まった。

この地の「小椋」姓は来村時に改姓した惟喬親王の従者が先祖である。

など多数の逸話がある。

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詳しくはこの蛭谷町の木地師資料館で学ぼうとしたが休館中だった。開館中と表示していたGoogle Map許さん!

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資料館のすぐ側にある筒井神社は惟喬親王を祀っている。ちなみにこの隣に門が立派な家があり、表札には小椋正清東近江市長の名が刻まれていた。おそらく市長の実家だろう。

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筒井神社の由緒には親王の伝説が記されている。

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さて、蛭谷を過ぎると再び山道に戻る。この先に分岐があり、親王を祀るもう一つの神社がある君ヶ畑町へ通じているが、今回は県道から外れるので割愛する。

この峠は1943年の神崎郡永源寺村発足による小椋谷の愛知郡から神崎郡への転籍から2005年の山向こうの愛知郡愛東町永源寺町を含む市町合併による東近江市の発足まで、愛知郡と神崎郡の境界だった峠にあたる。東近江地域は郡が川の流域で区分されており、生活圏と一致しないため郡を越えた合併が多くあったのだ。

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この標識って心霊スポットにあるとされがちなやつじゃない?教習所以外で初めて見たが「その他の危険」という標識だ。何に対する注意なのかはまもなく分かった。

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木地師やまの子の家という合宿施設がある。先の標識はおそらく「学校保育所あり」に近い意味合いだが、学校や保育所そのものではないので「その他の危険」を使わざるを得なかったのではないだろうか。

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この建物は一見廃屋っぽいが木地屋さんの作業小屋になってるようだ。ここにも「ありがとうございます」がある。「世界人類が平和でありますように」もあり、正体が分かった人もいるのではないだろうか。

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峠を登りきったところで親王の御陵に着いた。

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鬱蒼とした森林にはまもなく3月になるというのにまだ日陰に雪が残っている。

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かなり広い。ここでは毎年7月に惟喬親王祭が開催されているらしいがこの広さからするとひょっとすると相当な規模なのではないだろうか。

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親王の石像が建立されている。木地師のネットワークというのは今なお強い繋がりを持つのだろう。

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台座には全国からの寄進者が記されている。県知事の名もあり、建立は武村正義時代である。興味深いのは福島県在住とされている人物の姓に「小椋」が見られることだ。かつて木地師として遠く東北に渡った小椋氏の末裔もここを父祖の地としていることが分かる。

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親王が生前隠棲していたとされる場所。それほどの広さは無く質素な暮らしが想像される。現在は祭儀が行われる場所として屋根付きの小屋が建っている。

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そしてこちらが親王墓所である。いつ頃整備されたのかは碑文が読めなかったので定かではない。皇族の墳墓は通常厳重な管理がされているが、ここは宮内庁に陵墓等として扱われていないのでここまで接近することができるのはありがたい。

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小さな仏式の塔と碑から親王の静かな余生が偲ばれる。

実は惟喬親王の伝説があるのはこの小椋谷だけではない。京都市大原、多賀町大君ケ畑、甲賀市山女原、三重県奈良県など各地に伝説が残っている。それゆえこの地の伝説の真偽は定かではないが、ここから旅立った木地師が持つ親王の綸旨が時代を下るほどに効力を持つようになったのは確かとされる。

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駐車場の隅に自衛隊による道路開削記念碑が建っていた。野崎欣一郎は先に出てきた武村正義が1974年の知事選で討ち取った県知事だ。武村正義のものはよく見るが、野崎時代の古い揮毫はなかなか珍しい。

洗い越し

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峠を下っていくとまたしても珍しい標識が現れる。

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この「洗い越しあり」は県内ではここしか残っていないと言うからなかなかレアだ。

洗い越しとは路上河川とも呼ばれ、技術的または採算的に架橋やアンダーの水路の造設が難しい箇所に路上に水を流す工法のことである。

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ここ数日雨は降っていないがそれでも結構な水量がある。奥には砂防ダムもある。

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石畳になっているのは滑り止めだろう。洗い越しはかつて多賀永源寺線で3ヶ所あったが、災害に弱いこともあり撤去が進んで現在はここを残すのみとなった。

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やや不自然な空白がある青看が現れたが、多賀永源寺線は右折が正解である。直進すると廃村があるが今回は割愛する。

ここから東近江市を離れて多賀町に入る。

「ありがとうございます」

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そして現れたのはこのバラックの建物群。ここが一連の「ありがとうございます」看板の発信元である「ありがとうございますボランティアサークル」の拠点である。普段は常駐していないということで今回近寄ってみたが、日曜ということもあり何かイベントを開催しているようだ。

やたらとすれ違う大阪や名古屋の県外ナンバーは道路事情が改善した国道421号を通過してここをめざす車だったと思われる。

「ありがとうございます村」「ありがとうございますおじさん」などのワードで検索すると様々な情報がヒットする。

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かつては東近江市側に拠点を持ち、惟喬親王祭にも関わっていたというがここ数年の親王祭には参加している様子は無い。

東近江の文化財だより:第25回惟喬親王祭が開催されます

「ありがとうございますおじさん」の没後はボランティアサークルとして活動しているとされ、宗教団体ではないという。

そのため、「新宗教」と呼ぶのは適切ではなく「カルト」は敵視が過ぎるのでこの記事のタイトルでは「異教」という苦し紛れの表現になった。

この団体は「ありがとうございます」という言葉を重要視しており、「宇宙神ありがとうございます」という文言をマントラのように唱えるという。それゆえ「ありがとうございます」のポールを各地に設置しているらしい。

先述の「世界人類が平和でありますように」ポールの設置が白光真宏会という宗教団体による活動であり、白光真宏会の祈りの文言にも「守護神様ありがとうございます」というものがあることから何らかの関係があるのだろう。

深入りは避けたいので気になった方は調べて欲しい。

ダム湖と神社

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さて、サークルの拠点を過ぎると人気が一気に無くなる。冬季閉鎖中のはすだがなぜか通れている。ありがとうサークルのイベント中はバリケードを開放しているのだろうか?

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犬上川ダムが近づくにつれ路面が悪くなってきた。車線も1車線ギリギリになっていく。f:id:zhongdanhai:20210228225050j:image

犬上川ダムは重力式コンクリートダムで用途は灌漑用水と発電んだ。

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ずっと左岸を走ってきたが、右岸にも道が付いているようだ。

このダムは本格的な農業用コンクリートダムとしては日本初ということで着工は戦前に遡る。


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当時の国家的事業の例に漏れず死者が出ていたようだ。ダムの堰堤を見晴らす丘には神社が建立されている。
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参道を上がっていくと本殿の脇に出るというのは珍しい。f:id:zhongdanhai:20210228230012j:image

その視線の先にはダム湖がある。命を捧げた先人は何を思うのだろうか。

まとめ

15キロほどの区間だがなかなか見応えのある道路だった。貴種信仰、ありがとうございます、ダムと神社という3要素をまとめると祈りの道という表現もできるのではないか。山深い鈴鹿の谷合いには信仰を引き寄せる環境があるのではないだろうか。